親愛なる友人・知人の皆様へ

前略

親愛なる友人・知人の皆様へ

この手紙は、私が1997年に神奈川県逗子市に「新逗子クリニック」を設立して開業医となって以来、今日に至るまでの25年間に、ご縁を頂いた、すべての皆様に宛てた手紙です。
ちょうど10年前に、私は医療法人聖岡会新逗子クリニックを、破産宣告を受ける形で解散しました。当時ご迷惑をおかけした多くの関係者の方々に、あらためておわび申し上げます。
私は、血筋としては、三代目の医者で、祖父は外科医、父は産婦人科医としての人生を全うしました。祖父岩野四郎、父岩野昇とは異なり、看護師であった母から石川の姓を受け継ぎましたが、両親の深い愛情のおかげで、内科小児科医としての人生を27歳から、60歳の今日まで歩ませて頂くことが出来ました。
私のために祈って下さった多くの方々に深く感謝申し上げます。
父からは、「名前のとおり、天地を繋ぐまっすぐな大樹となり、道を究めるように」と教えを受けて育ちましたので、仁術とも、医道とも呼ばれるこの道を究めようと、私なりに、精一杯努力を続けて参りました。
医師としての最盛期、最後の10年間を、肥沃の大地、北海道で勤めさせて頂けたことは、私にとっても、3人の子ども達にとっても、本当に嬉しく幸いな事でした。
「自然療法クリニック」という、自然の恵みにより頼む医療を継続出来たのも、北の大地の力と、北海道の自然を愛する多くの患者さん達のご声援のおかげでした。ここまで、ご支援下さった北見市、札幌市、旭川市、根室市、帯広市の市民の皆様に、改めて御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
本日改めて手紙をお送りしているのは、私が医師としての最後の21年間(61歳から82歳まで)をスタートする時期にあたり、未熟だった自身の反省を込めて、医者生活33年と、開業医生活25年の総括を行わせて頂く講演会に、皆様をお招きするためです。
私は、今もまだ未熟な医師ではありますが、幸いにして、ようやく胸を張って自分がしている仕事の内容を、皆様に詳しく説明出来るようになりました。
今の私には、エドガーケイシーさんが語った事、エドワードバッチ博士が語ったこと、ブルーノグルーニングさんが語った事、ヒューレン博士が語られた事を、医師の立場を越えて、皆様にご説明申し上げる事が出来ます。
また、私達が微笑みながらこの人生を生き抜くにはどうしたら良いのかを、簡単かつ明瞭に説明出来るようになりました。
私は、私の師に習ってあなたに伝えます。
「重荷を背負っている人は、私のもとに来なさい。私がその重荷を降ろしてあげます」と。
12月11日に五反田でお待ちします。

 

                        草々

                        石川眞樹夫